+trust -グラウンドシップ内の話+ 時は惨劇となった降神祭から4日経った昼。 オイルレイクは完全に蒸発し、中央山脈は野次馬根性を発揮した見物客で賑わっていた。 若い男女や還暦を迎えていそうな人、まだ小さな子供まで様々である。 その人々の眼の前には、目下古代の都、イリーディアが広がっている。 しかし、それに気付いているのは一部の真実を知っている者だけだった。 空の雨雲はオイルレイクと共に霧散したかのように消え去り、藍が無限に続いている。 何も知らない者が見れば、蒸発したオイルレイクの見物者は只の登山者に見えただろう。 事実、この中央山脈はフィルガルト一の高さを誇り、登山に訪れる人は少なくない。 普段の三倍増しである見物者を除けば、その奥で何が行われようとしているかは露知らず、中央山脈はすっかり平 穏を取り戻していた。 また、それはルナン達7人のパーティーにおいても同じだった。 今までも嵐のような冒険に翻弄され続けていたし、そういう意味では普段通りだと言っても良いだろう。 「ゲホ、ゴホッ」 「・・・」 ただ一つ、普段とグラウンドシップに残っている人員が違う事を除けば。 所はサヴィアー所持のグラウンドシップ内。 普段はシンディ・ユミ・ライゼルが三人で残っている場所だったが、今は大きく違っていた。 「・・・大丈夫?」 一人目は病人の「彼女」の介抱役に抜擢されたシンディ。 「彼女」はこの激しい生活に疲れが溜まっていたのだろう、先日から風邪を拗らせていた。 「まぁ、昨日よりは・・・。それにしても、ユミのが治ったと思えば私が風邪に罹るなんてね。」 そして、その「彼女」と言うのが一連の出来事の最大の渦中に居るルナンだった。 他にこのグラウンドシップには誰もおらず、ルナンはベッドに苦しげに横たわり、シンディがその横に見守るよう にして座っていた。 他の五人はイリーディアの探索へといった。 クレイシヴは今も着々とアージェを起動させる準備をしているだろう。 それを考えると、休んでいる暇は無いという事で、ルナン不在でも少しでも道を辿ろうと出向いているのだった。 此処にシンディが残る事になったのは勿論看病をする為と、もしもの事に備える為だった。 もしグラウンドシップに大袈裟なモンスターが侵入して来た時、寝込んでいるルナン一人ではまず太刀打ち出来ない。 ルナンは魔術師だったが、魔法はかなりの精神の集中を必要とする物であり、今のルナンの状態では普段の1/10の 力も発揮出来ないだろう。 いざという時グラウンドシップに残っているのが戦闘に向かないユミでは頼りないし、イリーディアも一番の戦力 になるであろうルナンが居ないだけに、尚更人数を増やさなければならない。 それに、看病には女同士の方が良いだろうということでシンディが残る事となった。 「もうすぐ昼食時だけど、どうする?」 と、シンディが問いかけた。 時計はもうすぐ12時を差そうとしている。 グラウンドシップ内の厨房には一連の食材と調理器具が揃えられている。 大仰な料理は出来なくとも、病人向けの軽い食事を作るなら寧ろ役不足なぐらいだろう。 「シンディのお任せで。出来れば雑炊みたいなのがいいかな・・・」 そうルナンが返すと、シンディは小さく頷いてベッドの傍らに置いた椅子から立ち上がった。 思えばシンディと二人きりなんて云うのは此れまで無かった経験だ。 彼女は無口であまり自己主張もしないタイプであったし、だからこそ二人になる機会もならなければいけない機会 も無かった。 彼女は自分とはあまり似つかない性格だ。 自分は感情的になる事も多いし、何でも無鉄砲に行動してしまう。 そういった面でシンディは殆ど冷静さを崩す事が無い。 だからこそ彼女を苦手だと思うことも、何か惹かれる物を感じることもあった。 サヴィアーが彼女が好きだと言っているのもそういう所なのではないかと思う。 ふと、厨房で料理をしている彼女の後姿を眺めてみた。 このベッドに寝転んだ体勢ではよく見えないが、どうやら自分が言った雑炊を作っているようだ。 手早く食材を包丁で捌き、鍋に入れていく。 それともう一つは何だろうか。和え物のような物を作っているような。 彼女の手捌きは本当に熟練しているようで、見ているだけでも惚れ惚れする。 自分たちのメインパーティーが外に出ているとき、グラウンドシップ内では誰が料理をしたりしているのかと思っ たが、これを見る分にはシンディが担当しているのかも知れない。 視線を彼女の手元からもう少し上げてみる。 後ろ姿からではよく見えないが、気のせいだろうか。 蒼い髪の隙間から見えた顔が、心なしか綻んでいたのは。 少し考えてみれば、シンディも充分に無表情な所があるが、それならイリーディアに居た頃の自分の方が上回っているかも知れない。 あの頃はシルバーリングで支配され、戦う事が全てだった。 イリーディアの殆どの人が自分をそういう目でしか見ておらず、自分もどんどん無感情になっていった。 そう、ただ一人を除いては。 だからこそその一人に操られ、支配された時は屈辱的だった。 以前は本当にたった一人の信頼できる人物だったのだ。 その人物にこれから戦いを挑もうとしている。 出来ることなら話し合いで決着をつけたかった。 しかし、彼はどうあっても応じてくれそうには無い。 これからの未来を生きていく事を選んだ自分と、過去に戻る事だけを望んだ彼。 どちらが正しいのかなんて、それは。 それにしても、病気で寝込んでいるときは辛い事ばかりを考えてしまう。 昔からの悪い癖だ。 生体兵器なんかに生まれなければ、こんな事に巻き込まれずとも、自分も彼も幸せになれたのではと。 そんな在りもしない幻想を考えてしまう。 そんな事はもう考えず、運命を受け止めていこうと決めた筈なのに。 彼に操られた時、何だか自分と皆の隔たりを感じた。 シンディと自分は違うと思ったが、それなら他の人とも決定的な違いが・・・ 「お昼、出来たけど」 はっと我に変えると、シンディがお盆に皿を二つ乗せて立っていた。 「あ、うん」 自分が空返事をすると、シンディは近くのテーブルにそれを載せ、こちらへ引き摺って持ってきた。 そうしてテーブルを自分の居座っているベッドの左側に置くと、シンディは椅子に腰掛けた。 寝込んでいるときに近くに人が居ると、こんな何気ない事でも安心する。 「自分で食べられる?」 「うん、昨日よりは楽になったし、大丈夫。」 とは言いつつも、まだ大分熱がある。 それでも昨日より楽になったのは事実だったし、何よりあまりシンディを心配させたくなかった。 そして、盆に載っている二つの皿を見てみる。 一つは雑炊。自分が言ったからだろう。 もう一つは、なんだろうか。あまり見た事の無い料理だが、先ほど見た通り和え物のようだ。 「シンディ、これは?」 と、その皿を手で指しつつ聞く。 「ドーグリの郷土料理よ。折角だったから。」 ドーグリの料理。それを聞いて嫌なものを思い出したが、どうやらこれは大丈夫そうだ。 人の作った料理を「大丈夫」だか「無理」だか言うのも失礼な話だが。 兎に角体を起き上がらせて箸を持ち、その料理を口に入れてみた。 風邪をひいているのでよく味は分からないが、あっさりして食べやすい料理だ。 きっと元気な時に食べればもっと美味しいのだろう。 「うん、美味しいわ。有難う。」 率直な感想を口にする。 「そう。良かった。」 いつも通りの口数の少ない言葉で返答される。 普段なら物足りなくも、何か惹かれる物を感じる事もあったが、今は風邪に罹ったときの不安が落ち着いていくよ うな気がした。 「ところで。料理、趣味なの?」 箸を盆に戻し、次に先ほど疑問に思ったことを聞いてみる。 料理していた時のシンディは普段よりも楽しげだったような気がする。気のせいかも知れないが。 「ええ。ドーグリに居た時からのね。」 「じゃあ、両親にも作ってあげたりとか・・・」 其処まで言って口を噤んだ。 よく考えてみればシンディは幼い頃に母を亡くし、父もエターナルに入った末に最後は悲劇の再会と相成ったのだ。 今のは我ながら無神経な質問だった。やはり風邪をひいているせいか、中々気が回らない。 それで少し申し訳無さそうな素振りをすると、 「いい。そう、父が居た頃はよく作ってあげてたわ。」 と、何も気にして居なさそうに返事を受けた。 あまりに自然な口振りに、後悔も軽減されたように感じる。 「あー・・・、なんか、ごめんね」 それでも一応謝っておく。 自分もそういった経験を何度もして来たのだ。 信頼している人を失う辛さは身に染みて分かっている。 失った訳ではないが、これから赴こうとしている戦いなどその最たる例だろう。 「いいわ。気にしてないから。」 こういう所でシンディは凄いと思う。 殆ど表情を崩さないので、本当に気にしていないのかは分からないが。 しかし、その言葉を聞いて、自然にこんな返事を口にしていた。 「うーん・・・、シンディのお父さんって、どんな人だったの?」 思えば、こんな事は今まで話したことが無かった。 「優しい人だったわ。料理も父に教わった。」 「さっき料理してた時、凄く楽しそうに見えたけど。」 「料理をしてると父の事を思い出すのよ。本当に優しい人だった。」 ああ、そうか。その気持ちは、 「分かる気がする。」 「そう、ありがとう。」 そう言うと、シンディは服のポケットに手を入れた。 昨日もこうしてシンディと二人でグラウンドシップに残ったが、その時は当たり障りの無い会話しかしなかった。 それだけに、今のこの会話は心が躍るものがあった。 やっぱり自分はシンディとは違う部分があるな、なんて内心で苦笑していると、彼女はポケットから一冊の手帳を取り出していた。 見た所普通のスケジュール帳である。 長らくシンディと旅をしてきて、こんな物を携帯しているなんて初めて気付いたが。 そして彼女は慣れた手つきで手帳を捲ると、一枚の古い写真を取り出し、テーブルの上に置いた。 二人の親子と思われる男女が写っている。 右側に立っているのはまだ幼い少女のようだが、恐らくシンディなのだろう。少し面影が残っている。 左側に立っている人物は分からなかったが、話の流れからして彼女の父だろう。 少女より頭二つぐらい背が高く、恰幅のいい体格で、それでいて温厚そうな顔をした中年だ。 「これが、シンディのお父さん?」 「ええ。」 心なしか、自分の育て親──ガゼールにも似ているような気がする。 「優しそうな人ね。」 「ええ。事実そうだったわ。」 「この写真は、いつも?」 「そうよ。最近は見る事も少なくなったけど、それでも常に持ってるわ。」 彼女がそうするぐらいなのだから、余程彼には思い入れがあったのだろう。 母を早くに亡くし、父と二人きりで生きてきたのだから思い入れを抱くのは当然の事ではあるが。 それは自分も同じだ。 自分も母を亡くした訳ではないがガゼールと二人きりで育ってきた。 彼の仕事で家で一人寂しく過ごした事などもう数え切れない。 今日のような風邪をひいた日も、中々傍に居てもらう事が出来なかった。 それでも彼は一生懸命自分の為に尽くそうとしてくれたし、自分もそれで満足だった。 だから、自分も同じようにガゼールには深い思い入れを持っている。 「ねえ・・・。今でも、この人に会いたいと思ってるの?」 その思いは、クレスフィールドでガゼールと別れた時から自分も持ち続けた思いだった。 自分は時間を経て再会したが、彼女にはもう永遠に叶えられる事のない願いだ。 「特には。もう、そんな事は考えないようにしようと決めたから。 どうせ、もう思っても叶う事でも無いしね。」 ところが、返って来た返事は意外なものだった。 「そんな私の我侭のせいで、私は皆に迷惑をかけた。自分自身も罪悪感に苛まれた。 だから、もうそんな事は考えないようにしようって、決めたのよ。」 はっとした。 彼女は以前それを願って自分達を裏切っているのだった。 そして、その先に待っていたのは。 「自分はただ父にもう一度会いたいだけだった。それが、こんなにも皆に迷惑を掛けて、その結果が・・・」 其処まで言うとシンディは言葉を詰まらせた。 自分が視線をシンディに移すと、彼女は両手で顔を覆っていた。 その間から見える彼女の瞳から、一筋の光がつたうのが見えた。 「シンディ、もしかして・・・」 どうも今日は気が回らない。 普段ならこんな過去の傷跡を抉る様な質問はしなかっただろう。 そんな自分を深く後悔した。 それでも、その反面嬉しくもあった。 こんな事を思うのは不謹慎かも知れないが、彼女にも人並みに泣いたり笑ったりする事があるのだと分かって。 彼女は決して完璧に冷静なだけの人ではない。 だから、変に苦手意識を持ったり、惹かれたりする事も無かったのだ。 「ごめんなさい。つい、ちょっとね・・・」 先に口を開いたのはシンディだった。 もう涙は止まったようだったが、やはり表情は悲しげになっている。 「こちらこそ、ごめん。無神経な質問しちゃって。」 すると、彼女は顔を上げて、こんなことを言った。 「でも、本当にもういいのよ。私は父だけじゃなく、こんなに多くの仲間を手に入れた。 きっとこれからは裏切るようなことはしないし、私が裏切られるような事も無い。 ルナン、あなたもこれからはこのパーティの誰にも裏切られることは無いと思うわ。」 シンディにしては珍しく一気に捲くし立てた。 その瞳は先ほどとは打って変わり、温和そうな表情で自分を見つめていた。 先ほどの写真の彼女の父親のように。 そして、自分は返事をした。 「それは、どうして?」 シンディは少しも間髪を入れず、またこんな事を言った。 「何故なら、私は皆を信頼しているから。 そして、ルナン。 あなたも私以上に皆から信頼されているから。」 真っ直ぐな瞳から紡がれたその言葉を聞いた瞬間、自分の中の全てのモヤモヤした感情が霧散したように感じた。 それこそ、オイルレイクの蒸発のように。 終わったことは仕方が無い。 今の自分には多くの信頼してくれている仲間が居る。 そんな事、今更考え直すことも無かった。 彼らの為にも自分はクレイシヴと戦い、きっと後悔しない結末を迎える。 やはり自分はこんな風に、ただ只管に前向きである方が似合っていると思う。 「ふふふっ」自然に笑みが毀れていた。 シンディが不思議そうな顔をして問いかけてくる。 「どうしたの、ルナン?」 「いいえ、別に。ただ、明日も晴れたらいいなぁ、って。」 「そうね。」 そう言うと、自分の右斜め前に置かれているシンディ作の料理に手をつけた。 「明日こそはこの風邪を治してイリーディアの方に行かなくちゃね。」 「ええ。きっと、その方が探索も捗るし、何よりあなたが居ないと意味が無いから。」 空は一層青さを増していた。この分なら明日病み上がりの体で中央山脈に登るのも難しく無さそうだ。 「ああ、そうだ、シンディ。」 「何?」 「ありがとうね。」 そう言うと、自分は今度は雑炊の方にも手を伸ばした。 風邪で火照った体も大分良くなってきた。 心身共に準備は万端。 このまま、きっと彼の間違った行いを止めてみせる。 以前は信頼しあった仲だったからこそ、そう思うのだ。 作:hr http://hrhara.tuzigiri.com/ シンディの設定については大分うろ覚えなので本編と矛盾点があれば申し訳ないです。 その場合は一度アージェが覚醒するも結局似たような未来になった後の話だと考えていただければ(何が この作品はシンディと誰かが一対一で絡む事は本編でも殆ど無かったような、という事で書いてみました。 予想以上に無口キャラの会話は書き辛かったです。 Back